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​<ヒエラルキー的二元論の形成>

​霊・理性・男が上、自然・感情・女が下

ユダヤ・キリスト教 と ヘレニズム哲学の融合

紀元に入りローマが帝政に入った後も哲学の探究は知識人の間で受け継がれていました。3世紀後半になると「万物は根源である【一者】から流出したもの。太陽のような【一者】は変化しない永遠の善。光から遠ざかれば暗くなるように霊魂や物質にも高低がある」などとする「新プラトン主義」が登場します。これはプラトンのイデア論を元に、アリストテレスやストア派をはじめとする様々な思想を統合したものでした。

 

5世紀にはこの「新プラトン主義」がキリスト教神学者たちによってキリスト教の教義に取り入れられます。万物の根源である【一者】はユダヤ・キリスト教の【唯一神】と容易に結びついたのです。

 

こうして天の父神を頂点とし、そこから流れ出す神の恩寵(叡智)によって魂や物質が段階的につくられるというキリスト教神学の世界観ができあがります。そしてその底辺にあるのが物質界である自然でした。神の世界は完全で永遠。一方自然界は死と再生を免れない劣等のものでした。

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神と男性は上、自然と女性は下

また自然と物質は女性的なものというイメージも引き継がれます。キリスト教神学では、神の命を受けて自然界(物質界)をつくり出したのは女神とされたのです。

 

もちろん自然と女性を結び付けることは太古からありました。古代の地母神信仰では、自然は生命を育む母親のイメージで理解され、また生命の誕生(豊穣)に必要なもう一つの天候の男神とペアになっていました。けれどもヒエラルキー的二元論の世界観では男神はすべてを超越する絶対神として現れ、自然と女性は 男神と男性の下に置かれたのです。

 

それに伴い、肉体とそれを産み出す「生命の再生産」がないがしろにされるようになったのも当然のことでした(→ 肉体の卑下とセクシュアリティーの否定)

 

このようにキリスト教神学ではすべてを「超越する(男性性)」父神の絶対性が強調され、自然に「内在する(女性性)」神性は軽視されていくのです(→ 女性的神性の埋没とマリア崇拝)

現実世界のヒエラルキー

1~2世紀の原始キリスト教では、神への信仰生活は「祈り」と「労働」によって成り立つ慎ましいものでした。けれども特権化した僧たちは「労働」を卑しい「地上の国」に属するものとして拒否し、「労働」は大地により近い教区の聖職者や修道僧のものとします。そして自らは教会や修道院を「神の国」のように美しく飾り、美しい音楽で満たして「祈る」ことに専念し始めます。そして贅沢なライフスタイルを謳歌するのです。

さらにこうした階層的な世界観は現実の世界にも適用されます。まずローマ教皇と最上層の聖職者は「神の国」に最も近く、王や諸侯はそれに次ぐもの。もちろん庶民(一般信者)は底辺にあって教区や地域レベルの聖職者に統治される者。神の言葉も聖職者を通して人々に伝わることになりました。また階層的な教会組織の中で、上層の僧たちは自らをより「神の国」に近い者として特権化するようになります。

このような教会のヒエラルキーと王を頂点とする世俗的なヒエラルキーが互いに競い合いながら共存していたのが、中世ヨーロッパの封建制社会でした。

 

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言うまでもなく、キリスト教の中で女性が聖職者となることはありませんでした。実は原始キリスト教には様々な教派が存在し、その中には女性に男性聖職者と同じ役割を与えるものもありました。けれども家父長制社会を基盤にしていたキリスト教「正統派」はそれらの教派を異端とし、女性も排除したのです。

 

こうして女性は修道女として神への信仰生活を送ることはできても、聖職者になることはできなくなりました。

それでも神性を保っていた自然
ひとつ注意しなければならないのは、このキリスト教の世界観において、自然は神から分離した低次元のものとされたとはいえ、神とはまだつながっていたということです。神の恩寵は自然の中にも見ることができると考えられていたのです。これが鉱物の採掘や森林破壊などに対する一定の歯止めとなっていたと言います。ところが、15~6世紀の近代以降、この自然観が大きく変わることになるのです。
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