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「人間は生きもの、自然の一部」

更新日:2021年8月31日


38億年の生命の歴史を描く「生命誌絵巻」   出典)JT生命誌研究館

中村桂子さんという生命科学者がいます。彼女は長年にわたるDNAやゲノムの研究から「生命誌」という考え方を生み出しました。そして「人間は生きもの、自然の一部」という考えに基づく「生命論的世界観」をもつこと、そしてその上で科学技術(テクノロジー)を役立てる社会を創ること、を提唱しています。その世界観はとても豊かで、この短いブログで語りつくせるものではないのですが、いくつかのポイントを、女性性・男性性の観点を交えながら2回に分けてご紹介したいと思います。



人間は生態系の頂点?

上の絵が「生命誌絵巻」というものですが、それについて書く前に、まずこちらの絵をご覧ください。「生態系」や「食物連鎖」をネット検索すると出てくるピラミッド型の考え方です(ちなみに海洋にはクジラを頂点とした別の生態系ピラミッドがあるようです)。

土中の微生物→植物→昆虫→小動物→大きな動物→人間、という食物連鎖にもとづく生態系の考え方です。そしてすべての動植物は死ぬと土に還り、また新たな生命の循環が始まることが示されています。


最初にこれを見た時に、(何で人間が一番上なのかなぁ。ライオンの方が人間より強いんじゃない?)と思ったものですが、自分でも人様に生態系の話をする時にはこの絵を使ってきました。でも今は、これは注意しなければいけないと思っています。



環境破壊を招いた考え方


人間を生態系の頂点に置く考え方は、古くは古代ギリシアのアリストテレスに見られます。アリストテレスは理性という特性は人間にだけ備わっていると考えて、だから人間は動植物の上にある特別な存在としました(「歴史の窓」-「哲学の誕生」)。これが中世キリスト教世界で「神は人間に自然を支配することを許された」という思想と一緒になって、人間が自然の上に立つピラミッド型の考え方として定着しました。(「歴史の窓」-「ヒエラルキー的二元論の完成」


16世紀以降には、自然は一定の法則によって動く機械のようなものと考える科学(「機械論的自然観」)が台頭します。人間は理性・知性によってその法則を読み解くことができ、自然を支配することができると考えられるようになりました。自然にある神性は否定され、科学が神に取って代わるようになったのです。現代まで引き継がれるこの意識が環境破壊を引き起こしたと考えられています(「歴史の窓」-「科学革命 - 機械になった自然」)。


この生態系の絵にはそうした「人間は他の動植物より上」という思想が反映されているような気がするのです。少なくともそんなイメージを植え付ける可能性があります。



「生命誌」という考え方


中村さんは生態系を、それぞれの生命体が背負っている歴史を含めて考えます。人間も動物も植物も微生物も、すべて地球における38億年という歴史をもってここに存在しています。そしてそのすべてが38億年前に発生した最初の細胞から始まっています。「生命誌絵巻」の扇の要のところです。その後いくつもの地球の大変動の時代を生き抜いて現在の生態系があります。扇の端っこが今の時代、そして今存在している動植物です。


大事なことは人間も扇の中にいる生きもののひとつだということです。「他の生物にはなくて人間だけがもっているものって何もないんですよ。すべての生物は同じDNAを共有する仲間なんです」と中村さんは言います。そして「生物に下等も高等もない、というのが今の生物学の認識です」と。

中村さんはナミアゲハを例として挙げます。ナミアゲハの幼虫は柑橘系の葉っぱしか食べません。お母さんナミアゲハは数ある植物の中から柑橘類の葉っぱを探し出して卵を産みます。どうやって葉っぱを見分けるのかというと、前足に葉っぱを味見する細胞をもった特殊な毛があって、それで葉をトントンと叩いて成分を探るのだそうです。そしてその細胞の構造は、人間の舌にある味を感じる器官「味蕾(みらい)」とまったく同じだというのです! つまりアゲハ蝶と人間は共通の遺伝子の働きで味をみているというわけです。



「生命論的世界観」


「私はヒトという生きもの。自然の一部」という認識に立って世界を見る


中村さんは「生命誌」から生まれたこの世界観を「生命論的世界観」と呼び、近代科学(そして近代文明)の基本的考えである「機械論的自然観(世界観)」に対比させます。


「人間も生き物であるなんて当たり前のこと」と思うかもしれません。けれども「機械論的自然観」にもとづく近代文明は、人間を自然の外に置いている、つまり自分自身も生き物であることを忘れているのです。これを女性性と男性性を交えて、もう少しわかりやすく説明しましょう。



忘れられた女性性の視点


中村さんが提唱する「生命誌」や「生命論的世界観」は、「自然との一体化」という女性性の意識です。自然の内側から見る視点とも言えます。


一方近代科学は、対象とするものと自分を切り離し、観察者として対象を見ます。自然の法則を見つけ出すためには自分を自然の外に置く必要があるのです。このような「切り離し」「分析」「客観性」などはすべて男性性と呼ばれるものです。そして近代科学は対象を細かい要素に分けて分析する「還元主義」と呼ばれる手法をとり(「細分化」も男性性)、見つけた様々な法則を積み上げることで自然を理解してきたのです。


こうした世界観を基にした科学技術と経済(*) が作り出した近代文明ですから、「自然は生きている」とか「人間も生き物、自然の一部」という認識はないのです。



「生命論的世界観」による新しい社会の創造


中村さんは、「自然の外にある人間」「機械論的自然観」「還元主義」「自然の操作・支配」などの考え方は科学技術の発展に大きな貢献をしたけれど、このような世界観のままでよいのでしょうか、と問いかけます。近代文明は科学技術や金融市場原理というシステムの内だけで動いているけれど、人間が生き物である以上、背後に自然と生命があることを考えないシステムは成り立たないはず、というのです。


「科学技術は人間がしっかりしていれば非常に有益なもの。科学技術や経済を否定するのではなく、「生命」を基本理念とする「生命論的世界観」に立って、それらと自然をつなぐ新しいシステムをつくる必要があるのではないか」という中村さんの主張は、「生命を中心に置き、女性性と男性性を統合したシステムを構築する」というこのサイトの問題意識と重なるのではないかと思っています。


次回は中村さんの考える新しいシステムについてご紹介したいと思います。



(*) 現在の資本主義という経済システムも近代科学と同じ思想を基盤としていることは、このサイトの「歴史の窓」 - 「近代の申し子 資本主義」でも触れていますので、よかったらのぞいてみてください。

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